ジャン=ウジェーヌ・アジェ 1857年 – 1927年
Jean-Eugène Atget 1857 – 1927

1857年ボルドー近郊のリブルヌに生まれ、青年期には海外航路の船員をしていた。その後役者を目指すが大成せず、30代後半にパリに定住。一時期画家を目指すがこれも長くは続かず40歳ごろから 「画家のための資料写真家」という看板をモンパルナス近くのアパートの一室に掲げ、写真家としての仕事をスタートさせた。
その後、変貌していくパリの街並みや古い町並み、街かどで働く人々、歴史的建造物、庭園などを丹念に記録していった。時代はエコールドパリの画家たちが活躍していたころで、ユトリロや藤田嗣治らもアジェの写真を購入して制作の参考にしたともいわれている。
1889年にはパリ万国博覧会が開催されエッフェル塔も完成。1895年には、パリでリュミエール兄弟による初の商業映画も上映されたそんな時代だった。にもかかわらずアジェはその時代もはや旧式とも言えるガラス乾板を用いる大型カメラで生涯8000点以上を撮影したとされる。生存中も一定数はパリ図書館などが買い上げたりしていた。彼の死後、同じ通りに住んでいたマン・レイの助手の女性写真家、ベレニス・アボットが彼の作品の散逸を防ごうと保存活動に奔走した。後年「パリの記録者であり近代写真の父」といわれ、70歳で生涯を終えた。